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日蓮大聖人

日蓮大聖人

 

師子王の如くなる心
師子王の如くなる心を
もてる者必仏になるべし。
例せば日蓮が如し。
これおごれるにはあらず。
正法を惜む心の

強盛なるべし。

◆立教開宗

◆辻説法

◆「立正安国論」奏進

日蓮聖人のご生涯

1222年 安房国片海(千葉県鴨川市)に生まれる。幼少にして清澄山の清澄寺に入る。その後、比叡山延暦寺に遊学する。

1253年 四月二十八日に「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて『法華経』の伝道を宣言する。

1260年 三九歳、『立正安国論』を著し、前執権北条時頼に奏進する。

1268年 蒙古の国書が鎌倉幕府に届き、『立正安国論』で予言した「外国に侵略される災難」が現実となる。

1271年 五十歳、鎌倉で無実の罪で捕らえられ、流罪地の佐渡へ向かう旅の途中、龍ノ口の刑場で処刑されそうになる(龍口法難)。佐渡に赴き、塚原三昧堂に入る。佐渡にて『開目抄』、『観心本尊抄』を述作。大曼荼羅御本尊を始めて顕わす。

1274年 赦免され鎌倉に帰着。平頼綱に面会し、蒙古の襲来が近いと予言する。同年、身延山中に庵室を構えて住む。

1282年 六一歳、身延山を下り常陸国(茨城県)に向かう途上、武藏国池上(東京都大田区)で入滅。


◆龍口法難

◆佐渡流罪

◆身延山ご聖居

 


身延山 久遠寺 日蓮宗総本山 久遠寺 由緒(縁起)


 鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「お題目」をもってすべての人々を救おうとした日蓮大聖人は、三度にわたり幕府に諫言を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井郷を治める地頭の南部実長の領地でした。日蓮大聖人は信者であった実長の招きにより、一二七四(文永十一)年五月十七日、身延山に入山し、同年六月十七日より鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処とされました。日蓮大聖人は、これ以来足かけ九年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始し、一二八一(弘安四)年十一月二十四日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。
 日蓮大聖人のご入滅以来実に七〇〇有余年、法灯は綿々と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮大聖人がお題目を唱え、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。総本山として門下の篤い信仰を集め、広く日蓮大聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。

久遠寺本堂

日蓮大聖人御廟所

久遠寺 棲神閣(祖師堂)

久遠寺本堂

日蓮大聖人御廟所

久遠寺 棲神閣(祖師堂)