日蓮宗妙信山 良政寺 やなぎ寺

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良政寺沿革

 

阪市西淀川区御幣島 良政寺本堂

築港の良政寺本堂

阪市西淀川区御幣島 良政寺本堂

境内古図

築港の良政寺本堂

阪市西淀川区御幣島 良政寺本堂

 

 當山は、往古興福庵と称する地所を延享元年(一七四四)元廣院日寛聖人が、淡路屋善右衛門より金百両の喜捨を受け、その養父母の法名を以て、妙信山良政寺と改称し、柳寺(やなぎでら)と通称される。
 開創より二七〇年、幾度にも山門の危機に襲われる。
 明治十二年本堂・庫裡全焼。同十五年に壇信徒・世話人の尽力にて再建するも負債の為公売の窮地に。それでも大檀那により買い取られ寄付にて復興。しかしながら老朽化甚だしく、第二十三世靜明院日然上人の代、大正十三年当時大阪市東区東平野町より港区八幡屋町に移転し、本堂庫裡を新築する。築港の良政寺と謳われたが、昭和二十六年の戦災に遭い再建が待たれた。
 第二十四世靜境院日幸上人が戦地よりご帰還され、御母堂様と共に辛苦の末西淀川区出来島に古屋を買い取り、仮のお寺とする。しかし台風の為、再び保つこと難しく、総代・檀信徒と相謀り、現在の同区大和田に土地を得た後、檀信徒一同の協力を以て昭和二十六年開宗七百年を慶讃し、本堂建立の再建を果たし今日に至る。

 

 

良政寺沿歴代上人

第二十三世 静明院日然上人
 第二十三世靜明院日然(上木龍諦)上人は、明治七年七月十一日誕辰。明治十六年十月十三日、和歌山感應寺第二十七世洋静院日潮(釈龍遠)上人に就て出家得度。明治二十六年檀林附嘱宗学林卒業。明治三十五年二月二十七日、良政寺住職就任。明治三十七年、遠寿院荒行堂初行成満。大正四年、第五行成満。その後参籠を二回、七百日間の大荒行を成満。
 修法布教による教化は、檀信徒の絶大なる信頼を得られ、良政寺の移転、諸堂新築の大事業を成し遂げられた。徒弟六名を訓育。昭和十五年四月三十日、聖壽六十七歳をして遷化される。

 

日然上人と天童

開堂入仏式境内

満堂の開堂入仏式

開堂入仏式 練供養

日然上人と天童

開堂入仏式境内

満堂の開堂入仏式

開堂入仏式 練供養


 

第二十四世 世静境院日幸上人
 第二十四世靜境院日幸(上木龍明)上人は、大正七年十二月四日誕辰。師父靜明院日然(上木龍諦)上人のもと昭和六年十二月十三日に出家得度。昭和十年五月二十六日、「幸二」を「龍明」と改名。昭和十四年三月、身延山・祖山学院高等部卒業。同年、信行道場修了。昭和十五年六月十九日、良政寺住職就任。その後、従軍僧として出征。戦地より帰還後、戦災で焼失した築港の良政寺を悲母・上木はる(春光院妙静日輝大姉)と共に復興に努める。篤信者・古澤妙咲法尼、井上利一氏、濱口彰造氏等の協力を得て、昭和二十六年、西淀川区大和田(現在地)に本堂を再建、身延山八十四世・深見日圓法主猊下を大導師に迎え、開堂供養大法会を厳修。昭和二十九年、庫裡再建。昭和三十二年妙見堂新建立。境内整備に努め、復興を遂げる。
 日幸上人は、堅固不動の上人であり、修法布教を志し、昭和二十二年、大荒行堂に入行。昭和三十四年、第五行成満。伝師相承の允許を受ける。檀信徒は慈愛に満ちた的確なるご指導を受け、絶大なる畏敬信頼を寄せた。また、教師・徒弟には、妙経読誦、音儀の口伝相承を授け、師厳道尊の教風を示された。
 宗門に於いては、大阪市修法師会長、大阪市宗務所長等を歴任。殊に所長就任時には、日蓮大聖人第七百遠忌の御正當大法要等の大事業を円成される。また日蓮宗の教学の根本聖典『日蓮宗事典』修法部門編集委員を務められる。正に行学兼備の上人であり、日幸上人の九十一年の御生涯は、謙虚にして誠実を貫く勇気と自らの使命に目覚めて責任を全うする情熱が凡てであられた。
 平成二十年十一月十六日、御会式法要の後、戸田晴大の得度授戒式をにて、「龍尚」と授名される。日幸上人は、四大不調をきたされ、平成二十一年六月十日、聖壽九十二歳をして、安処として遷化される。

 

第五行成満の日幸上人

講義中の日幸上人

龍尚 得度式

第七百遠忌 御会式

第五行成満の日幸上人

講義中の日幸上人

龍尚 得度式

第七百遠忌 御会式


 

第二十五世 戸田秀明上人(現住職)
 第二十五世戸田秀明上人は、昭和四十四年生まれ。昭和五十三年四月二十八日、九歳にして仏縁により、西宮市妙龍寺・師父戸田教進上人のもと出家得度する。僧風林五回修了。中学・高校では、剣道部に所属。身延山短期大学にて日蓮教学を学び、宿舎「行学寮」に於いて僧道修行に精進し、二年に亘り寮長を務める。その後、京都種智院大学に編入し、真言密教と仏教学を学ぶ。在学中、日蓮宗大荒行堂初行を成満。平成六年二月十六日、西宮市に普明結社を設立、教導に就任。平成七年一月十七日、西宮にて阪神淡路大震災に被災。直ちに単身で被災地を廻る慰霊唱題行脚を始め、鎮魂に務める。以後震災を心に留める為、同日発生時刻前後二時間、唱題行脚を続ける。
 平成八年三月、種智院大学仏教学部卒業。卒業論文『日蓮聖人の密教観』は、論文賞受賞。修法布教に専念するも、未熟さ故の困難にあたり、平成九年度大荒行堂に再行として入行。大阪管内の御尊聖との尊き御縁を得る。平成十年四月、大阪市西淀川区御幣島に結社を移転、修法布教に精進する。この頃より先代日幸上人の御恩情を賜り、良政寺の行事をお手伝いさせて頂くようになる。平成十九年、日幸上人のお許しと檀信徒の賛同を得て、参行大黒相承の秘法相伝を受ける為、三度目の大荒行に挑む、仏天の御加護により成満。平成二十年二月、帰山奉告式を厳修。平成二十一年四月、大阪日蓮宗青年会長に就任。同年六月十日、日幸上人御遷化に伴い、正副干与人・法縁御寺院・檀信徒総代の御推挙を得て、平成二十二年四月四日、第二十五世の法灯継承入寺式を挙行。

 

大学時代 見延山にて

入寺式

第参行帰山奉告式

阪神の慰霊唱題行脚

大学時代 見延山にて

入寺式

第参行帰山奉告式

阪神の慰霊唱題行脚

荒行

荒行

荒行

荒行

荒行秘法祈祷修法 蓮宗には世界三大荒行の一つに数えられる、百日の大荒行がございます。 毎年、千葉県市川市の大本山法華経寺の中に加行所が開かれ、11月1日より2月10日までの百日間を、1日、7回の水行(水をかぶり身を清める)と読経三昧に明け暮れます。その間は1日に2食のおかゆを摂り、3時間の睡眠という過酷な修行を行います。 この大荒行の中で、日蓮宗独自の木剣(ぼっけん)を使用した加持祈祷(かじきとう)が相伝されるのです。